篤姫とはどんな人か?

という事で、大河ドラマの「西郷どん」の第5話である

 

「相撲じゃ!相撲じゃ!」

 

という何やら、勇ましいようなサブタイトルで放送されます。

 

西郷吉之助(鈴木亮介)とって、絶対に負けられない

御前相撲の試合に臨むのです。

 

これは、御前相撲で友人の正助(瑛太)のためにも、

御前相撲で勝ち上がり、薩摩藩主である島津斉彬に直訴するためです。

 

その時に、於一(北川景子)という女性が現れます。

その於一に見守る中で、吉之助が奮闘するシーンが見どころですね。

 


出典:https://samurai-hi.com/segodon-oiti-9486

 

では、今回・・・

篤姫とはどんな人か?

また、「於一」という名前とは?

それらの点について、触れていきます。

 

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篤姫とはどんな人だったのか?

天璋院篤姫は、1836年に薩摩の今和泉島津家に生まれました。

囲碁や史書を詠むことを好み、男子の通う塾に男装して潜り込んだり、

下級藩士と身分の差を越えて交流をしたりするなど、

かなりの型破りな行動を繰り返すといった、奔放な性格でした。

 

それが斉彬の目に留まり、1853年に島津斉彬の養女となりました。

また、第11代薩摩藩主の島津斉彬と篤姫とは、いとこの間柄となります。

そして、江戸幕府の第13代将軍徳川家定の御台所となり輿入れします。

 

やがて、将軍家定が無くなり、次期将軍家茂の後見人として支えるかたちとなります。

やがて、幕府が崩壊寸前の時にて・・・

篤姫は、天璋院として江戸の大奥を司る責任者となりました。

 

という事で、今回は・・・

篤姫とはどんな人だったのか?

という点を中心に触れました。

 

肝心の天璋院篤姫の功績について知りたい方は・・・

下記へどうぞ!

於一の読み方と於一とは何をした人なのか?

 

では、後半・・・

「於一」という名前とは?

一体、どこから名付けられたのか?

その点について、触れていきます。

 

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「於一」という名前とは?

「於一」って、どう読むのか?

分からない方も、いらっしゃる事でしょう!

これは、「於一(おかつ)」と読みます。

 

於一(おかつ)とは・・・

今和泉島津家に生まれた際に付けられた名前です。

 

すなわち、篤姫となる前の名前が・・・

於一(おかつ)という名前だったのです。

 

「篤姫」という名前になったのは、島津斉彬の養女となった時に

そう名付けられたのです。

しかし、島津斉彬からは「篤子(あつこ)」と呼ばれていたんだそうです。

 

その後、第13代将軍徳川家定に嫁ぐわけですが、

家定が亡くなった後、篤姫は出家し・・・

「天璋院」となったのです。

 

天璋院篤姫は、やがて・・・

皮肉にも、幕末の動乱の渦に巻き込まれていくんですね。

 

総括(まとめ)

天璋院篤姫は・・・

かなりの型破りな行動を繰り返すといった奔放な性格であったということ。

 

また・・・

於一(おかつ):今和泉島津家に生まれた際に付けられた名前

篤姫:島津斉彬の養女となった時の名前

天璋院:第13代将軍徳川家定が逝去し、出家した後の名前

という事になります。

 

しかし、西郷どんの第5話では・・・

まだ、初々しい篤姫になる前の於一(おかつ)として

登場します。

 

一体、どんなストーリーとなるんでしょうかね。

 

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