直虎徳政令何年?借金が多かった理由とは?

大河ドラマのおんな城主直虎で、ついに・・・

次郎法師(柴崎コウ)が、井伊直虎として

井伊家のおんな城主が、先週の第12話の放送で

誕生しました!

 

井伊直親(三浦春馬)と正室のしの(貫地谷しほり)の間に生まれた

虎松(寺田心)が元服するまでの間まで、後見人として

国を治めることとなります。

 


出典:http://www.oricon.co.jp/special/49721/

 

第13話である、そのサブタイトルは?

城主はつらいよ!

まるで、男はつらいよという往年の映画タイトルのような

感じですね。

 

では、今回・・・

直虎が徳政令を何年に発足したのは?いつなのか?

また、徳政令とは?

 

そして、借金が多かったとは?

一体、どういう事だったのか?

今回、それぞれの点について、触れていきます。

 

スポンサーリンク

 

直虎が徳政令を発足したのは何年?

徳政令が発足したのは何年か?

と、言うと・・・

 

永禄11年11月09日と云われています。

西暦で云うと、1568年となります!

 

しかし、その徳政令を発足させたのは、

井伊直虎では、無く・・・

今川氏真だったのです!

逆に直虎は、その徳政令をはねつけたと云われています。

 

徳政令を簡単に説明すると・・・

借金を帳消しにする!

と、いうものです。

 

また、借金が多かった理由として・・・

当時の農民たちは、戦などの不作続きにより

年貢を納めようにも納められないところがありました。

かの桶狭間の戦いも、大きな影響を及ぼしたのです!

 

では、後半・・・

直虎が徳政令を発足する事となってしまったのだろうか?

その点について、触れていきます。

 

スポンサーリンク

 

直虎が徳政令を発足せざるを得なかったのか?

直虎は、あることを危惧していました。

 

それは、商人が破綻(はたん)し、

今後・・・

資金調達が出来なってしまう可能性があると考えたからです。

 

しかも、それだけではなく・・・

農民たちが一揆を起こしかねないという不安もあったからです。

かと、言って・・・

 

もし、徳政令を敷いてしまうと

井伊家の財政にも大きく、負債がのしかかるというだけで無く

井伊家自体も、潰れかねないものだったのです。

 

徳政令とは、言うなれば・・・

諸刃の剣のようなものです。

 

総括(まとめ)

今では、借金の帳消しとなると・・・

自己破産などの債務整理などあります。

 

しかし、戦国時代と言えど・・・

そう簡単には、いかないでしょう!

お金に絡む事の政(まつりごと)また、

お金に関わる物事には、慎重さが大事だと言えます。

 

スポンサーリンク