お由羅騒動とは赤山靱負がなぜ切腹

という事で、西郷どんの第4話にて・・・

新しき藩主が誕生するというお話しとなります。

 

しかし、薩摩藩主の島津斉興は、

斉彬擁立派を一気に粛清しようと、お由羅騒動を起こすのです。

 

そして、その犠牲となってしまうのが・・・

赤山靱負(あかやまゆきえ)切腹の沙汰が、

下ってしまうのです。

 


出典:https://article.auone.jp/detail/1/5/9/8_9_r_20180127_1517007802489979

 

では、今回・・・

お由羅騒動とは?どんな出来事だったのか?

また、赤山靱負がなぜ切腹しなければならなかったのか?

それらの点について、触れていきます。

 

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お由羅騒動とは?どんな出来事だったのか?

江戸末期(幕末)に起こった、島津家の世継ぎを巡る紛争のことです。

別名では、「高崎崩れ」や「嘉永朋党事件(かえいほうとう)事件」とも

云われています。

 

藩主の島津斉興の正室である弥姫(いよひめ)が、

1824年に亡くなった事で、薩摩藩内では・・・

斉彬擁立派久光擁立派とで、二分されてしまうのです。

 

正室である弥姫(いよひめ)が生んだ第1子が、島津斉彬

そして、側室であるお由羅が生んだ第5子が、島津久光

と、なります。

 

本来であれば、世継ぎ(家督)は島津斉彬が継ぐ者となります。

しかし、藩主の斉興と側室のお由羅と側近で倹約主義である

調所広郷(ずしょひろさと)は・・・

島津久光に家督を譲ろうと考えていたのです。

 


出典:https://twitter.com/think_literacy/status/955042341894504448

 

つまり、島津斉彬へは廃嫡を藩主の斉興は目論んでいたのです。

そこで、藩主の斉興は・・・

斉彬擁立派への粛清を実行しました。

島津斉彬擁立派の中心人物とされる、

赤山靱負(あかやまゆきえ)に命の危機が・・・

 

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赤山靱負がなぜ切腹されなければならなかったのか?

島津斉彬擁立派の中心人物とされる赤山靱負(あかやまゆきえ)

しかし、皮肉にも切腹させられる事になってしまうのです。

では、なぜ切腹しなければならなかったのか?

 

まず、一つの説と言えるのは・・・

島津斉彬擁立派の中心人物であったということ。

 

赤山靱負は、日置島津家の名門の家の出なのです。

日置島津家の当主には、赤山靱負の兄である、

島津久徴(しまづひさなが)が就いて、かつ、

薩摩藩の家老職をも、兼任していたのです。

 

藩主の斉興は、さすがに・・・

島津久徴(しまづひさなが)まで、粛清を掛けては、

薩摩藩内が揺らぎかねないのと威信が地に落ちると

思った事でしょう。

 

そこで、赤山靱負を切腹させる事で、島津斉彬擁立派を

消滅させる事で、斉彬の廃嫡を決定的にさせたかったのではないか。

 

そのため、赤山靱負を切腹は、見せしめでは無いか?

 

とも云われています。

 

総括(まとめ)

お由羅騒動の事の発端は・・・

斉興の正室である弥姫(いよひめ)が亡くなった事で、

斉彬擁立派と久光擁立派と二分し、

島津家の世継ぎを巡る紛争が起こりました。

 

そして、赤山靱負が切腹する事で、

藩主の斉興は、斉彬の廃嫡を決定的にさせたかったため

云う事です。

 

そうすると、久光を世継ぎにせざるを得ないと

認めさせたかったのです。

 

いずれにしても、お家騒動というのは・・・

いつの世にも、避けては通れない事ですね。

 

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